

よみもの
小学校の6年間に食べるものは、食経験の礎になる
早島のあの人

40年以上前に考案され、今も愛され続けている早島のオリジナル給食メニュー「ふわふわ丼(どんぶり)」。
その始まりのお話を、当時の栄養士である赤木亥久子さん、平田千鶴子さんにお伺いしました。

ふわふわ丼の始まりは約40年前、給食ならではの工夫から
平田千鶴子さん(以下平田) :当時毎週1回は、次はどういう献立にしようかといつも二人で集まって相談してたんですよ。その時に、お料理の雑誌を見てたら、お豆腐の丼みたいなが載っとったんです。これに麩を入れてみたらどうかなって、給食だからやっぱりいろんなものを入れた方がいいなって、細かい人参とかも入れたりアレンジして。そしたらすごく良いのができて。それが始まりです。丼の名前も二人で考えたんですよ。お麩が入ってるからふわふわかな、とか言って。
赤木亥久子さん(以下赤木) :お麩は、室町時代からね伝わってる伝統食ですからね。これは使えるぞと思ってやったら成功しました。何しろお麩っていうのは植物性のタンパク質ですからね。お肉の代わりになってダイエット食ですし。でもふわふわ丼も工夫すれば、もっとすてきなものになるんじゃないかなと思います。
平田:ふわふわ丼を美味しく作るには、やっぱり油があまり出ない方がいいから、あくとか油をこまめに取ったりするんです。他にも、この中にこういうものをちょっと入れたら、美味しくなるんじゃないかなとか言って、材料をちょっと変えてみたり、そんなのはもういっぱいあります。直接子どもたちの反応を見ることはあまりなかったけれど、食べ残しなんかを見たときに、みんなが残さず食べてたりすると、これは良かったんだっていうのがわかるんです。
皆さんが前向きに協力してくださったから、本当に何でも工夫ができた。
赤木:小学校の6年間で食べるものは、食生活の土台となる経験ですからね。いろんな工夫をしましたよ。料理の本をいっぱい広げて、どれができるかっていうのは確認しながら。大量調理だったらどういう風に工夫すればいいかっていうのと、それには道具がいりますでしょ。だからその道具も買いに行かなならんし、いろんなことを工夫しながらどうやったら時間内に上手にできるか。そういう工夫も全て自分たちで考えてやったもんですからね。いろんなところへ買い物したりとか、いろんな方を味方につけて。皆さんがもう当然のことのように協力してくださった。走り回りましたね。その内助の功が平田先生。本当に温厚な方で、あれもこれも、みんな支えてくださった。
献立も、最初のうちは私が書いてましたけど、その後は全部平田先生の手書きです。私たちの代は最後まで彼女の手書きでした。早島っていうところは教育の熱心な町ですから。あれもこれもしたいなと思うことは全部やらせてもらえました。
平田:例えば、リンゴの皮を剥くんでも、柿を剥く機械が広島にあるいうことで、広島までわざわざ見に行ってリンゴで試して、それを買うことにしたとか、そういこともありましたね。ある意味やりたい放題で工夫してやってました。結構それが楽しいんですよ、二人にとったら。
赤木:全国で給食の支部はたくさんありましたけど、そういうところから来た方も、ここにに来たらすいぶん、心が和むって。子どもの顔を見るだけでも、とても素晴らしいことがわかると。だから、早島の給食は日本一だってしょっちゅう言われてましたね。宣伝したわけじゃないですよ。でも前向きにやったことだけは事実でね。いっつもお料理の本が何十冊も並んで、これはできるなってなったら、そっから先は、大量調理ですからね、無駄がないようにしないといけませんし、自分たちで量を決めたりして。他の調理員さんもおんなしように前向きで考えてくださったから、何でもできたっていうことに尽きますよね。
平田:ちょうど時代も良かったなと思うんですよ。孫が管理栄養士してるんで、いろいろ話も聞くんですけど、今は工夫するにしても、取り組み方とかものすごい厳格なので。私たちも恵まれてたなと思って。してる時は一生懸命で大変だったけど、過ぎてしまったら、すごい楽しかったなっていうのがあるんですよ。


赤木 亥久子さん 平田 千鶴子さん
給食の栄養士として長年勤務。ふわふわ丼を含め、お二人が開発されたメニューは今も数多くが給食として出されている。

赤木 亥久子さん 平田 千鶴子さん
給食の栄養士として長年勤務。ふわふわ丼を含め、お二人が開発されたメニューは今も数多くが給食として出されている。
